闇が広がっていた。外からのあかりもなく、ただ狭い通路には長く使われていなかったせいで空気も濁っている。
フェイト・クローナはその中を歩いていた。時折、立ち止まっては懐にある盗品を確かめる。
盗み。魔術師なら容易い。そう人は思うだろう。自在に光や闇を操り、姿を見えないものにし、空を翔る。そんな存在は盗みを働けば、障害などないのと同じだと。
しかし今日、忍び込んだ場所は違った。一角獣宮。帝王の座す場所であった。
かつて大陸には四つの国があった。青、緑、黄、赤をそれぞれのシンボルとして、一族や宗教、さまざまな差異がひっかかり、対立しぶつかりあった。
皮肉な事にその五色はどれも覇権を得ることはできなかった。より強い色である黒をその象徴とする一派が全てを静めた。黒のもたらす闇が大陸を滅ぼす。そう思われた時、闇を払ったのが月であった。それが帝国の始まりである。
帝国の始まりより中枢となった一角獣宮。
初めに見たものはそれが山のようだと思う。まだ、3日はかかるところからその姿を見ることはできる。
大きなもの。それが人の手によるものだというのが不思議とそこに力を感じさせた。豪奢なだけのものには感じないそれは何か。
多くの宮殿にあるような人や動物を模した飾りはここにはなく、幾何学模様を中心としたものばかりが目立つ。
見るものが見ればそれは標識となっている。だからこそ、魔法消滅の結界。不可視のものを捕らえる目を持つ猟犬。数多のゴーレム。そんなものを前に、フェイトはたやすく突破することができた。いや、相手はフェイトの存在にすら気付かなかったかもしれない。
フェイトは立ち止まった。
頭の上には星空が浮かんでいる。
外にでたと一瞬錯覚した。そうではなく巨大なドームの上につくられた意匠が星を思わせたのだ。
一角獣宮の一部である月神、天后ムーアの神殿であった。
「天后の神所にふさわしい」
「こんばんわ」
フェイトは振り返った。
おぼろげに見えるのは人影一つ。月の巫女。トリュファイナ・アクティニドレス・アムドゥシアスだった。
トリュファイナは笑っている。
「おもしろいところで会いますねフェイト・クローナ。このドームはこの時間は立ち入り禁止なのです」
「ええ。できれば見逃してくれると嬉しいです」
フェイトの言葉にトリュファイナは笑った。
「困りました。あなたがお持ちのものによりますね。宝物庫が荒らされ封印された品物が奪われたと聞きました」
「ええ。その通りです」
トリュファイナは手を振った。フェイトは手を突き出した。二人の間に火花が散った。
意識しないままトリュファイナの領域に組み込まれればほとんど力はなくなる。この月の巫女は既に二柱の神をこの世からおったのだ。
障壁が張り巡らされたのは一瞬で、それが解除される。お互いに防御用の術だが、威力の上でトリュファイナの方が上だ。フェイトの回りで火花は散った。束縛するようにトリュファイナの障壁はフェイトを包んでくる。
「魔術を使う以上、私には勝てません。魔術の基である見えざる魔力の流れは、もともと隠れたる力、ムーアの領分」
「確かに。では術に頼る事にしましょう」
フェイトは拳を叩きつけた。自分の拳そのものを魔力の媒体にする荒っぽい手だ。フェイトの体内までムーア神の力も及ばないからこれは有効な手だ。トリュファイナの作り出した障壁が砕ける。
「無茶をしますね」
トリュファイナは目を細めた。
「いかしてもらいますよ」
「惜しいな。一対一なら問題ない手だ」
ファイトの体が弾き飛ばされる。体勢を立て直した眼前に、太陽を思わせるまばゆい輝きが見えた。その輝きが小さくなると、一人の戦士の姿となる。
「エリク・チェンバース」
剣がフェイトに振り落とされる。
「だめエリク」
トリュファイナの声が響く前にエリクの剣は途中で止まっていた。
「素直にとったものを渡せよ。借りは借りだからな。渡せば見逃す」
「それはどうも」
フェイトは仮面を差し出した。仮面は白く、美しい女の死に顔のように思えた。その仮面をエリクは知っていた。
ディラハムの仮面。魔術王ディラハムからエリク自身が奪ったその聖具。
「お前それは」
言葉は遅かった。
互いに意志あるように仮面が震えた。それは小さな声のようにも思えた。仮面から白光が走り、周囲を白に染める。
「待て」
音と光にエリクはその場に立ち止まるをえなかった。
全てが納まり闇払う日の標の刃の灯りだけが残る。
気づけばフェイトの姿はどこにもない。追おうとしたエリクをトリュファイナは手で制した。
「これ以上は無理よ。もう私の王宮の呪圏の外に出てしまった。さすがに魔王」
「逃げ足の速い魔王がどこにいるよ」
「あそこに」
トリュファイナは遠くを指差した。
「追うぞ」
エリクは呟いた。トリュファイナは首を横に振った。
「あの人の怖いところは、能力があるのにも関わらずそれを用いずに、なおかつこうして生きていることだから。能力を使われれば五分五分。二人でも勝てるかは怪しい」
「さんざんあいつの能力は見たろ」
「彼は若い頃に一度の宮廷魔術師になっているから、ここの事は詳しい。それにこの王宮の設計をしたのは、彼の師ですから、仕掛けを使えば、労せずして阻めた。それをしなったから見逃そうとも思ったんだけど、目の前に来たのをさすがに逃すわけにはいきませんから脅しです」
「何を考えてるかわからんな」
エリクは大きく首をひねった。
「エリクはそういうことを考えるようにできていないし、こっちは語るようにできていません」
「わざと見逃したのか」
「ディラハムの仮面は彼になくてはならないもの」
「あいつが何をしようというのかわかっているみたいだな」
「フェイト・クローナは神に挑もうとしている。そして神もまたこの世に兆しを置いている。そう、それが私たち」