Before
Babel

降誕
nativty
7月19日

 

 

 

 近づいてくる赤い唇が不意に止まった。成美の身体が倒れてくる。成美の胸から刃の切っ先がかすかに覗いている。明の持った刀の刃が裏から貫いていた。
  成美は倒れた。
「どうして殺したの」
  成美の身体が冷たくなるのを感じがら紅葉は明を責めずにはおられなかった。明の目が悲しみのためか潤んでいるのを知りながらも。
「それしか手段が無いから」
  明は呟いた。
「殺すなんてだめだよ。そうやって妹さんも殺したの?」
  明は詰られて目を細めた。
「どう思ってくれてもいい。だから逃げて。ここはまずいの」
「モウ遅イ。カロン・カコンがくる」
  成美の口から血の泡と共に言葉が吐き出される。息は冬の最中であるように真っ白だ。
  空気が震えた。
  まるで森の中にいるような清浄な空気が不意に公園に吹き込んでくる。
  ボックスの公衆電話が音を立てて歪み炎と煙を上げる。しかし炎はまるでなかったように消える。
  霧が出始めた。
「寒い」
  気温が下がったのか寒気が紅葉の身体を包む。
  頭の中で声が聞こえた。それは美しい声。
  明はボックスに向かい表情を一切なくした顔で向かい合っていた。
  いつの間にか現れたのは一人の少女だった。
  ただ白い布を身にまとったような天使とも女神とも思える姿。その顔は半ばまで隠されている。
  しかし紅葉はその顔を知っていた。それはずっと前舞台で見たPANDORAの顔。そして、夕焼けの中、明の中に見えた少女の顔。
「妹さん?」
  明は大きく首を横に振った。
「妹だったものよ」
  少女は紅葉と明を見つめた。
  穏やかな神秘的とまで言っていい表情。
  少女は宙を舞った。気づくと少女の顔は紅葉の眼前にあった。
  赤く冷たい目の輝き。
「還りなさい」
  ゆっくりと紅葉に向かい少女の手が差し出される。
  紅葉の身体が大きく弾かれる。
  明が割って入っていた。
  少女の手が明の手に切り落とされていた。血が流れ落ちる。その血の流れが止まり細かな光の粒に変わる。血だけで無かった。落ちた腕も細かな光の粒となると少女の手に戻った。
  明は刀を構えながら飛び込む。
  少女は手を軽く振った。その先に見えない何かが生じたように明は動きを止める。
  地面が大きくめくれる。工事現場のように穿たれた穴は少女の持つ見えない力の強さを秘めている。
「逃げなさい」
  動かない紅葉に向かい明は叫んだ。
「あなたがいたら集中して戦えないの」
  紅葉は振り返る事無く走り始めた。

どれだけ走ったろうか。もう公園は視界に入ってはいない。
  後ろから聞こえてくる音だけがそこで何かが起きているのを伝えてくる。音は不意に止まった。
  明はどうなったんだろう。成美ももしかしたら生きているかもしれない。そんな考えが脳裏をよぎった。自分はいかなくてはならない。
  紅葉は立ち止まると、公園に向かい走りだした。
  公園の上に見えたのは明だった。
  明の体が高く浮かんでいる。それは子供がいらついてボールを投げるような勢いで地面にたたき付けられる。明の体は二度三度と地面を跳ねた。体が砂にまみれ服は赤いものが点々と見えている。
  それでも明は立ち上がろうとしていた。その体からは生気は感じられない。もう立っているのがやっとのように思える。でも、その目だけはまっすぐに一点に向けられていた。
  刀を持って低く構えて明は走り出した。明の視線の先にいるのは少女だ。少女は手を振った。紅葉には見えないが何かを切り裂くように明の刀は宙を払う。だが、近づくに連れてなぎ払う事もしなくなる。明は傷つくのもかまわず少女に向かっていく。少女は手を振るうのをやめて明に飛び込んでくる。
  少女の手を交わし、明の刀が伸びた。だが、刀は少女の手に払われた瞬間砕ける。
「だめ」
  紅葉は飛び込んだ。
  明の驚いた顔が近い。何かいおうと思った。
「ごめんなさい」
「ありがとう」
  そんな言葉は口から漏れる事はなかった。
  紅葉は背後から光を感じた。それは紅葉の意識を書き換えていく。今までの紅葉の記憶がきれいな光になっていく。きっと自分がみんな日価値になったときに死ぬのだろう。
  明は背後を見た。光の中で胸に光を抱いている女の姿が見えた。彼女は目を閉じている。
  その姿は不思議と懐かしい。そう彼女の姿も昔舞台で見ていた。
『PAN』
  名前を呼ぼうとした時、口が塞がれた。横を見れば明が立っていた。その後ろには明がもう一人立っている。それは先程の少女と同じ姿だが、何かが違っていた。
  明につかまれた瞬間、自分が光になるのは止まっていた。
「紅葉、その名をいうのはダメ」
「名前を呼ぶときちゃうんだよ。あなたもあたしと同じで舞台しているから分かるよね」
「亜由美、黙っていて」
  少女は頬を膨らませながらもだまった。
「目を覚ませば、少しだけ変わってしまったけど、あなたの世界が待っている。自分がしらないものや記憶にさらされるかもしれないけど、それは夢のようなものの。あなたはあなただから。強くなって。自分自身の為に」
「明?」
「その名前も忘れてしまいなさい」
  明の体が消えていく。そして亜由美と呼ばれた少女の体もまた。それは先程のように目を閉じた女の中に消えることはなく紅葉の中に入ってくる。
  それは様々な物語。
「さよなら」
  明と少女の体が消え去った。
  紅葉は公園に立っていた。そこには誰の姿もない。紅葉は黙って明の持っていた刀を拾い上げた。刃はまっずぐに光を返していた。

 


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