Before
Babel

降誕
nativty
7月19日

 

 

 

  教室に入った紅葉はTスクエアの音楽のかかる中、明の姿を探した。しかし、明は学校に来ていない様子で、机にはカバンはおろか、荷物がまるで無かった。
『確かめなきゃいけないのに』
  予鈴が鳴り、教室に入ってきた村上春子の表情の暗さにいつもは騒がしい教室が静けさに包まれる。
「昨日から小松成美さんは家に戻っていません」
  教師の悲痛な表情が移ったように騒がしさが増した。
「静かに。心辺りがある人は私の方も言うようにしてください」
  言葉を聞きながら紅葉は成美と一緒に消えていった明の事が思い出された。
  そのまま授業が始まり一日が過ぎた。明も成美も姿を見せることはなかった。ホームルームの中で部活の停止が告げられた。
  帰ろうとした紅葉は声をかけられら。
「小原さんちょっと」
「なんですか?」
「警察の方が小松さんのことを聞きたいそうなの。先生も、校長先生も同席するから、お話をしてもらっていいかしら」
「分かりました」 
  校長室に呼ばれ、校長と村上春子担任の同席で警察から事情聴取を受けていた。
  どこかお笑い芸人に似た顔の刑事の話は割合シンプルだった。何か心当たりはないか? というだけで、詳しく聞いてくることはなかった。

 いつもならこの時間に帰れば何人かは会う生徒たちともまったく会わない。それもそのはずだった。結局、学校側は全ての部活を停止にし、早期の下校を指導したのだ。
  峰台中学校だけでなく回りの小学校や、高校も同じ事だった。
『なにかおかしいよ』
  小松成美が失踪しただけでなく何かがこの辺りで起きている。
  道に映る紅葉の長い影に別の影が重なった。
  影の先にはリネンのワンピースを着た五月明の姿があった。
「紅葉」
「明」
  そういう紅葉の声にはおびえが混じっていた。
『逃げちゃだめだ』
  紅葉が怯えているのは明なのに、逃げずに向かい合おうとする強さのもとが、明の言った言葉なのが皮肉だった。
「ねえ、時間ある」  


                     

 いつもなら池之端公園で遊んでいる子供たちの姿はない。
  紅葉と明はベンチに座った。
「何か用なの」
  そういう明の目は優しい光が見えている。
「ねえ、明。成美を、小松さんが行方不明になって?。あなた知ってるんじゃないの」
「どうして。昨日紅葉の事でもめた後の事を言ってるの?」
  メガネの向こうの明の瞳は迷い無くまっすぐ見ていて紅葉の方が気弱になりそうになる。
「どうして私が知ってると思ったの」
「妹さんも行方不明になってるんでしょ?」
  明の瞳が揺らいだ。でも、紅葉が気のせいかと思うくらいの長さですぐ静かなまなざしが戻る。
「誰にそんなでたらめを聞いたの。私に妹はいないよ」
「俺だよ。真由美さん」
  現れたのは宇賀史明だった。

 今までは人のよさそうなな印象を受けた宇賀史明の顔は紅葉が見た事も無い表情を湛えていた。それはきついものながら、懐かしさを抱いている顔だ。宇賀の中でもその感情は整理されていないのだ。
「宇賀さん」
  紅葉の声に答えもせずに宇賀は五月明を見つめた。
  明は宇賀の視線を揺るぐ事無く見返している。
「紅葉にからんでいたレポーターですね」
  明は言った。
「俺の事覚えてないかな?。妹さんの家庭教師で」
「何を言われているのかよく分かりませんけど」
  宇賀から目を離し明は紅葉を見た。
「君は保坂真由美なんだろ?」
  紅葉には明の顔は落ち着いていて冷静に思える。でも、その冷静さの中に芝居の匂いが紅葉には感じられた。
  うまく演じようとしてしまって逆に演じているのが見えてしまう。今の明はそんな風だ。
  それでも十分だった。宇賀がそれ以上言葉を紡ぎのを止めるような強さがあった。
「行きましょう」
  明は紅葉の腕を掴むとそのまま歩き出した。 
  歩いているうちに日はもう完全に暮れ、夜になっていた。
  そのまま明は一言も口にする事は無かった。
  怖いがそれよりも知りたかった。自分の見たビジョンが真実なのどうかを。
  紅葉は深呼吸すると足を止めた。
「私工場を見たの。明がいる工場を」
  少しだけ先を行っていた紅葉は立ち止まった。
「見えたんだ。そっか」
  そして振り返った明の顔。夕焼けの中に見えるのは見た事の無い少女の顔だった。それは一瞬でいつもの明の顔だった。
「私ね妹がいたの。双子の妹。でもね妹はもういないの。私か妹、そのどちらかでも強ければ、私達はまだ一緒にいられたと思う。でも、私は強くなかった。強がってはいたけれど」
  明の目が潤み、ゆっくりと涙が流れた。
「だからあなたは強くなって」
  明は涙を拭くとそのまま背中を向け早足で歩き始めた。
「それじゃ、また」
  明は歩き始めた。
−ごめんなさい−
  紅葉は心の中で呟きながら明を見送った。


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