Before
Babel

降誕
nativty
7月16日

 

 

 

 7月16日 船橋
 8時になって校内放送のT・スクエアの音楽が聞こえてくると、登校してくる人間が増えて、それに負けないくらいクラスの中で飛び交う声が大きくなった。
  峰台中学校3年G組のいつもの朝の風景だった。
  小原紅葉は窓際の自分の席に座り、横の小松成美と昨夜の事を話していた。
  部活帰りにあった昨夜の異変は紅葉に強い印象を残していた。
  あの少女の事や犬のこと。見慣れたけれども違う世界。
「そんな事があったんだ」
  紅葉の犬と少女の事を熱心に話したのに成美の答えはそんなものだった。紅葉は少し非難をこめながら言った。
「本気で聞いてる?」
「当たり前じゃない。親友の言葉を信じないわけないでしょ」
  熱心過ぎてふざけているのが分かる成美の言葉だった。紅葉は頬を膨らませた。
「紅葉、普段ね、竜になれる男の人がタイプとか言っていたら信じて貰えるのも信じて貰えなくなるのよ」
「うっ」
(いつも言ってるな確かに)
  紅葉はちょっと古風な家長の四兄弟の長男を思い出した。
  予鈴が鳴って、待っていたように担任の村上春子が入ってきた。成美はあわてて自分の席に戻っていく。
「おはようございます」
  いつものようにのんびりとした村上先生の声だった。
「どうぞ入って」
  いつもと違い後ろから一人の少女がついてきている。
「今日から新しいクラスメイトが加わります。五月さん、挨拶をどうぞ」
(静かそうな子だな)
  それが紅葉の感想だった。
「五月明です。宮崎県の宮崎中学から来ました。よろしくお願いします」
  挨拶して頭を下げるとメガネにまで長い前髪がかかった。
「じゃあ、席は小原さんの横が開いてるわね」
  明は軽く挨拶すると紅葉の横に席に座った。
「小原です。よろしく」
  紅葉の笑顔に明は小さく微笑んで返した。

「ごめん遅くなっちゃたね」
  小原紅葉の言葉に五月明は首を横に振った。
  傾いた日が差し込む穏やかな春の宮本を二人は歩いていた。
  転校初日、部活見学をしていた明は最後に紅葉のいる演劇部を訪れた。演劇部が活動している旧体育館は学校の中で一番駅に近いこともあって、校舎から順に部活動しているところを順番に回ってくると最後になる。
  結局、明は気に入ったようで練習が終わるまで演劇部の見学しており、紅葉と二人で帰る事になった。
「何か大きく見えた」
  小柄なので紅葉からするとかなり嬉しい。
「いい女優さんなんだね」
「ええと、コツがあるの。心の中でいう時は言うほうの逆を見てまず言うとか。手とか指先とか意識して身体を動かすとか」
  明は身振りを手振りをいれて説明を始めた。明は小さく首を横に振った。
「そういうのとは違うの。まるであなたがパンドラみたいだった」
「照れちゃうな」
  紅葉はちょっと顔を赤くした。
  舞台の上では何でもできるのに、こうして素の時に言われると紅葉は恥かしい。
  にこやかに答えていた紅葉の足が止まった。そこは昨日犬にあった辺りだった。
(怖くない、怖くないよ)
  思い出された恐怖が心に満ちようとしていた。血の気がひくのが自分でも分かる。
  紅葉の手が暖かいものに包まれる。明が紅葉の手に重なっていた。
「ごめんぼんやりしちゃって」
「だいじょうぶだよ」
  優しい明の声なのに、つい気になって紅葉はきつい声で言った。
「何がだいじょうぶなの?」
「顔真っ青だし、体調悪いんでしょ。でも、もう元気みたいだね」
  あっさりと明は言った。ただ、心配しているのが分かる明の顔を見て、紅葉は小さく笑った。
「そうだね、ごめんね」
「紅葉」
  明は不意に言った。
「え?」
「友情はファーストネームを呼び合うことから始まる。イギリスの諺。私も名前で呼ぶから、紅葉も明って呼んで」
「でも五月さん」
「明よ」
「明?」
「なに?」
  名前を呼ばれて嬉しそうな明の顔を見て紅葉も笑顔を浮かべていた。

  


もし読まれたら一押し

 BACK INDEX STORY  BeforeBabel NEXT