大神殿の聖堂は、その名と裏腹にみすぼらしい印象を受ける。
壁は白塗りのままで飾りらしいものはなく、床も木で作られていて、ところどころ素人の手によると思われる修繕というよりは、不便がない程度に治されたあとがある。
もっとも地方の神殿ならば、そうしたことは多く、珍しいことではないかもしれない。何よりも大きな違いは崇めるべき巨大な神の像がないのだ。
ここは他の神殿では主神として崇拝を受けるいかなる神も、人と同じ大きさの神像で姿を象られている。帝国の守護神であるムーアもまた月の冠を抱いた静かな女性の姿だ。冥王とも死の神とも言われるダルタロック神も鎌を持った農夫めいた老人に過ぎない。他の神も、その神器とされる道具を持つにとどまり、神秘的とまでいわれる存在は見当たらない。
中には像すら無く、ただ名前だけが表示されている神もいる。それはこの大神殿の女神であるレテに他ならない。
癒しと忘却を司るというレテは自らの姿を記録することを望まなかった。全ての神と慈悲とされる癒し、当たり前の奇跡を司る女神が長い間忘れられていたのはそういう理由だ。それでも彼女の姿が記憶されているのは一つの個体故にである。
彼女らは、レテに似た姿をしているという。青い目に、黄金の髪。レテの聖女とは神の似姿なのだ。
当代のレテの聖女アル・ナスラインは空白の座に向かい頭を垂れていた。薄暗闇の中でただじっとしているそのさまは彼女も像の一つになったようだ。
「アルさま」
声をかけられてアルは振り返ると、フェルティアとレジスの姿があった。
そろそろ頃合のようにアルには思えた。あとはそれを言葉にしてしまえば、まっすぐに進むだけだ。
「心は決まった」
アルは立ち上がった。
「命がけだと思うのだ」
フェルティアもレジスも何をいっているのか分からない様子だ。
「冒険に出る」
その言葉の重さをもっとも感じているのはレジス・シャールであっただろう。軽い冒険、楽だから、などと言われながら、散々な目にあっている。アルと同行して死に掛かった経験は既に一桁ではない気がする。楽でそれだったというのだから、こうして決意したアルの前にはどんな困難が待っているのだろう。
「レジスさま?」
フェルティアに問いかけられて、レジスは我に返った。
先程大神殿でアルと会い告げられた言葉。
その後、アルは何もいわないで、また祈り始めた。声をかけることもできず、結局そのまま大神殿の中庭のベンチで二人も黙ったまま座っていた。
日がかけて赤みが混じり始めた頃、フェルティアは口を開いた。
「私はついていこうと思います」
「アルちゃんは何も言わなかった。ついてきても何も」
「それは危険だからと分かっているから。アルさまでも命がけなら、まして手伝わなくては」
「俺が行くよ。フェルティアは残ってくれ」
「レジスさまに任せられるわけありません」
「今までとは違うんだぞ。だから冗談は止めてくれ」
「さよなら」
フェルティアは立ち上がると中庭を出て行った。
「おい、フェルティア」
立って追いかけかけて、レジスは立ち止まった。
むしろアルに話して止めた方がいいように思えた。
聖堂に戻るとアルが難しい顔をして文字を書いていた。
「レジス氏、どうした?」
その声はいつもの同じで、少しレジスは安心した。
さっきからあった胸が圧迫されるような気分もおさまっている。
そこにいるのはいつものアルだ。
「そっちこそ何してるの?」
「手紙をな書いているのだ。一緒に冒険者として参加してくれるもののな」
アルはレジスに手紙を見せた。
「見たら後にはひけんぞ」
「またまた」
レジスは手紙を読み始めた。