イラスト さくみさま 
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少女の空

  闇の中、その街はあった。
  世界一の大都市。地上の神の都。かつてこの街はそう呼ばれていた。今もまた大路には人は溢れ、享楽の時は続いているように思われた。
  だが、それは事実だろうか。彼らには影はない。この都市に住む大群衆は全て死者なのだ。
  生あるものはただ一人。その一人ジャック・アーヴィングはその人々の中に交じり、都の中枢にある王宮へと入っていた。
  いつもなら決して余人の入れぬ王宮。しかし今夜は特別だった。
  魔術師が王の座につくのだ。その戴冠式が華々しく行われる王宮。今夜は人々に開放されていた。
  盛大な社交界。絵空事のように華やかな男女たち。しかしジャックの目に映るのは真実の姿。死の舞踊だけだ。
  骨だけになった体で生という夢に、いいや生きることも忘れ去り、そこにある彼らの姿。
  嫌悪を感じるがそれ以上にジャックの中には既に慣れ親しんだものだ。
  ここに来るまでにいったい幾人の死者と見えたか。彼らは死んでいるという事も知らずに生を夢見ていた。もう興味を引くものなどないはずだった。
  だが。
  ジャックは足を止めた。死の舞踊に魅入られたのではない。
「ブロッサム」
  ジャックは南の島を思い出した。あの死の砂浜を。
                     ◇
  南の島に広がる白い砂浜。
  その中の黒い一点。それは魔術師だ。魔術師は南の島の娘ブロッサムに近づいていく。
「お嬢さん」
  ブロッサムは震えていた。何かあればその均衡は解け、ブロッサムは逃げ出すはずだ。
  ジャックはそれを待っていた。死ぬのは怖くはない。むしろこの恐怖から逃れられるのなら。そう思えた。
  だが、ブロッサムは別だ。彼女は自分と関わってしまった事を除けばただの村の娘だ。こんな恐怖を味わっていい人間ではない。
「逃げたいのなら構いませんよ。ただし英雄ジャックの墓石はこの美しい浜辺に置かれる事になるでしょうが」
「逃げろ、逃げてくれ」
  ジャックは叫んだ。
「だいじょうぶ」
  ブロッサムの声がジャックの耳に届く。いつもと同じ言葉。今それは違うものだ。
「ブロッサム、いいから逃げろ」
  ジャックの声は叫びに変わった。
  闇がブロッサムを包み込みその姿を消し去る。
「ジャック・アーヴィング。無力を誰よりもよく知りながら永く眠りなさい。不相応にも英雄などど呼ばれた罰としてね」
  魔術師は消え、ブロッサムも消えていった。
  そしてジャックの意識も。
                      ◇
「そんなわけはない」
  ジャックは呟いた。
  あの時、彼女は闇に食われた。生きているわけはないのだ。
「王の戴冠が大広間で始まるぞ」
  声がかかり人々は大河と化し、大広間に集まっていく。
  大広間の中央には有翼の三脚台が用意されていた。かつては至高神の司祭であったろう老人が祈祷書を手に待っていた。
  人々のどよめきが止まる。
  現れたのは魔術師だ。今までの黒一色の衣と違いとは違い白と金で飾られた装束は神の戯画のようだ。
  司祭に向かい恭しく魔術師は頭を下げた。司祭も一礼し、祈祷書を広げ、宣誓の言葉を唱える。
「汝は神の地上での代理人として、王権を預かり、それにより王となるに異はないか」
「あります」
  魔術師の声に答えたように祈祷書は燃え上がった。祈祷書から火が燃え広がり焼かれながら叫びを上げる司祭。しかし群集は騒がずにただ魔術師を見ている。
「聞け、人々よ。この今より王となりこの大陸を治める。大陸だけではない。いずれこの世界全てが臣下となる。異議あるものは今この場で名乗るがいい」
  群集が割れた。そして悲鳴。その源はジャック・アーヴィングだった。
  魔術師は笑みを浮かべた。
「これはこれはわざわざ君が祝辞をいいに来てくれるとは光栄だよ。せいぜい歓待を受けてくれたまえ」
  一部の人間の姿が崩れ膨れ上がり、キマイラやヒドラといった化け物に転じると、ジャックに襲い掛かった。
  ジャックは背中の剣を抜いた。
  ヒドラの無数の首が切り裂かれる。だが、そこからは首が再生し、より勢いと数を増した。キマイラはその龍の口から炎を巻きながら背中を向けたジャックに飛び込む。
  ジャックは上に飛んでキマイラの攻撃を交わした。走りながら大広間中を走りまわる。燭台の灯りが消え、外からの星月の輝きが広間を照らし出した。
  キマイラの炎がヒドラを焼き尽くす。キマイラもまたヒドラの毒に冒され、そのまま動かなくなる。
  多くの群集がいながら静まり返った大広間で、魔術師の拍手の音だけが響く。
「随分と腕を上げたね」
「お前は仇だ」
「あれがなければ君はここまで強くならなかった。むしろ感謝して欲しいくらいだよ」
  ジャックは戦叫を上げながら魔術師に切りかかった。剣の刃に無数のルーンが浮かび上がり光を放つ。
「全く学ばないね」
  魔術師は交わそうとしなかった。
  だが、剣は魔術師の肩を切り裂いていた。魔術師は小さくうめきながら下がる。
「俺は求めつづけた。強さとお前を殺せる何かを。答えはすぐそこにあったのにな」
「それは何かね?」
「光だよ。月の光も、日の光を照り返したもの」
  ジャックは上を見た。
  魔術師は笑った。
「その為に燭台は豊富に用意したつもりだったがやられたよ。騒ぎに乗じて全て壊すとは」
  ジャックは魔術師に切りかかった。魔術師の肩から血が噴出す。
「それは『闇払う陽の標』か。まさか太陽神の神剣を持ち出すとは。だが、まだだ」
  魔術師の前に死の紋章が浮かび上がった。
「言わなかったか。強さとお前を殺せる何かを求めたと」
  ジャックは目を閉じていた。目撃したものでなければ紋章の魔術は効果がない。
  ジャックは目を閉じたまま魔術師に向かっていく。無言のままジャックは剣を振り上げた。
「ジャック」
  剣はとまっていた。その柔らかな声は忘れる事の無いブロッサム。
  ジャックは息を飲んだ。ブロッサムの匂いがした。覚えのある癖のある髪が腕にかかる。
  ジャックは目を開いた。そこにはブロッサムの姿があった。だが、瞳には夜空のように暗い藍色だ。肌の色も褐色が消え。ただ白いものになっている。ブロッサムも広間の群集と同じく生者を装う死人なのだ。 それでも目を離す事ができなかった。
「ばかめ」
  死の紋章がジャックの視界に入る。ジャックは全身から流れ出す力に耐え切れずに倒れた。
  衝撃が響いた。右腕が剣ごと吹き飛ばされた。
  叫びをあげるジャックに魔術は優しい声でいった。
「お前の愛する女に安息を与えられるがいい」
  ブロッサムは剣を掴むと、ジャックに近づいていく。剣が地面に擦れ、パンジーの鳴き声めいたものを響かせた。
  ジャックはブロッサムを見ていた。
  もう力は残ってはいない。
  生きていたわけではない。それでもこうして彼女をもう一度見れた事が幸せだった。ジャックはただブロッサムを見ていようと思った。
「ごめんなブロッサム。俺と会ったばかりにこんな事に」
  ジャックは泣いていた。今心の中にあるのは後悔ばかりだ。
  どうして戦士になったのか、どうして魔術師になったのか、どうしてあの島に逃げたのか。その一つでも選ばなければブロッサムはこうしてここにいなかっのに。
「ごめんな」
  ジャックは命を差し出すように胸を突き出した。
「ジャック」
  呟きが漏れる。ブロッサムの瞳には青空が感じられた。初めて出逢った時のままに。
「ばかな」
  ジャックはブロッサムに支えられた。死者である冷たい肌。だが、それでも懐かしい。立ち上がった二人の手に支えられ、剣は高々と上げられている。
  剣が振り下ろされた。魔術師は剣の放つ巨大な光の柱に包まれながら倒れた。回りの人々がその輪郭を失い影となり闇に消えていく。
「私が死ねばお前もあの永遠の暗闇に戻るというのに」
  魔術師の姿が塵となり消え去ると大広間には二人だった。
  二人は立っていることができずに倒れた。
  日の光が大広間に差し込みはじめる。
「ブロッサム」
  ブロッサムの体も消えていく。ゆっくりと灰に変わりながら。ブロッサムはジャックを見た。それはどこか戸惑っているように見えた。
「悪い夢を見たの。魔術師が来てわたしはきえてしまって・・・今も夢なのかな」
  それはあの最後の日のようだ。その時、彼女は何をしてくれたか。
  ジャックはブロッサムを抱きしめた。生身ではなく。霧でも抱いているかのような希薄さ。それでもブロッサムはここにいた。
「俺が朝まで見ててやる。まだ、怖いか」
「だいじょうぶ」
  ブロッサムは目を閉じた。その身体は細かな光になっていく。光は消えずジャックの周りを彷徨った。
「だいじょうぶだよブロッサム。だから行くんだ」
  光は消えていく。その先には空が広がっている。ブロッサムの瞳と同じ青空が。


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