イラスト さくみさま 
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前編

小夜啼鳥

  雲が途切れ、月が街を照らし出す。
  人々は驚いて、声を上げた。
  現れたのは白銀の装いに身に包んだ戦士たちだった。
  戦士たちは剣を抜いた。満月の光を受けて、刃がより鋭い輝きを増す。
  叫びを上げながら戦士たちは人々に切りかかった。
  切りかかる仲間たちの中、ジャック・アーヴィングの前には子供が立っていた。それが初めて殺すべき相手。怯えた瞳。
  剣を振りおろすことはできなかった。
  大剣を持った男がジャックの脇を駆け抜ける。それは隊長のハーボルトであった。 剣が一閃した。子供の身体が大きく弾き飛ばされる。それは城でも崩そうという一撃で、子供なら生きているわけはなかった。
「馬鹿。早く止めを刺せ」
  子供は立ち上がった。その体の半ばもう撃ち砕かれているのに。
  子供だけではない。多くのものたちは既に死んでいるだけの傷を受けながら立ち上がった。
  月の光を照らす中、彼らには影はない。影は光があるからこそ生まれる。影を持たぬ彼らはもう人間ではないのだ。闇に呑まれ生きるものの芝居を続けているだけの存在。
「止めを」
  ハーボルトの声をかき消すように、風が強く吹いた。雲が月隠し、光が翳った。
  子供の咽喉から声が漏れる。声ではなく何かが無理やり咽喉を押して出てくる空気の音。
  口の中からみえたのは金色の髪をした男の頭だ。次いで顔が現れる。すっと伸びた悪魔のような鼻ときれいな目、顔は小さく、顎が出ている。
「魔術師」
  ジャックは震えた。
  大陸の民の仇敵。この大陸から昼を奪った男。不意に現れ、光を奪った男。名乗りも上げなかった彼を人はただ魔術師の名で呼んだ。
  子供の身体を服でも脱ぐように外すと、魔術師が立っていた。
  既に影なき人々は悪い夢であったかのように消えていた。
  残っているのは騎士団のものだけであった。
「魔術師」
  仲間たちの声だ。
  それには様々な響きがあった。怒り、憎しみ、悲しみ。だが、何よりも強いのは恐れだった。
  ジャックは震える足を堪えながら剣を構えた。
「騎士隊の諸君、ご機嫌はいかがかな」
「貴様が出てきたのならば話が早い」
  ハーボルトが大剣を構え、魔術師に向かい切りかかった。
「ここで貴様を倒し、太陽を取り戻す」
  大剣が唸りを上げ、魔術師に向かい振り落とされる。
  魔術師の唇から空気が裂けるような音が響いた。
  ただ一つの呪文だった。魔術師の前に紫に輝く紋章が浮かび上がる。
  ハーボルトは倒れ、顔を包んでいる兜が転がっていく。蒼白な顔には一切の生気はない。
「それしか持たないとは騎士も腕が落ちたね」
  露になるハーボルトの顔を見てジャックには分かった。その心臓は脈打つのを止めているのだと。
  魔術師の前の紋章が消え去った。
「かかれ」
  騎士たちは一斉に切りかかった。
  怒涛のように迫る刃、呪文を唱える間はない。
  騎士たちは勝利を信じた。
  だが、刃は途中で巨人にでも掴まれたように動かなくなった。
「惜しかったね」
  魔術師の前に現れたのは紫に輝く死の紋章だった。
  激しく心臓が高鳴る音を立てる。自分が思ってもいないうちに心臓は止まり、眠ろうとしていた。
  ジャックも立っていることができずに倒れた。
  魔術師は倒れた騎士たちの合間を縫って楽しそうに声をかける。
「もう終わりかい」
  魔術師の声を聞きながらジャックは必死に顔を起こした。そこに見えたの魔術師の足だ。
  ジャックは立ち上がると剣を突き出した。
  魔術師は交わす事もしなかった。見えざる巨人の力がジャックの剣も他のものと同じように押し留める。
「惜しい」
  風が吹いた。雲間が少しだけ開き、月の光がジャックと魔術師を照らす。
  満月の光がさした瞬間、剣はなんの抵抗もなく魔術師の胸を貫いていった。
「これは慢心したね」
  ジャックは戦叫を上げながら踏み込んだ。全身の力を込めて。赤い血がジャックの身体を濡らす。魔術師の血に塗れた手がジャックの顔に触れる。踏み込んだせいで下がっている顔を無理やりあげた。
「その顔憶えておくよ」
  魔術師は笑い、そのまま物言わぬ体となった。
                    ◆
「その顔憶えておくよ」
  魔術師の声。その整った悪魔の顔。
「ジャック、ジャック」
  ジャック・アーヴィングは目を開けた。
  目の前にはブロッサムの顔があった。
  自分は今、部屋のベットの上にいる。
  そうだ。もうあの悪魔のような魔術師との戦いは終わったんだ。
  ジャック・アーヴィングはそう思いながらブロッサムの顔を見た。
  青い空のように澄んだ目は初めて会った時と変わらない。
  大陸から昼を奪い、死者の世界を作ろうとしていた魔術師に、偶然最後の一撃を与えたために英雄と呼ばれるようになったジャック。しかしその重圧に、大陸から離れたこの小さな島に移り住んでいた。そこで出会ったブロッサムと恋に落ち、ジャックは英雄と呼ばれる生活も、騎士の栄誉も忘れた。
「最近よく魘されてる」
「すまない」
  ブロッサムは首を横に振った。
「だいじょうぶ」
  子供をあやすようにブロッサムはジャックの頭を抱きしめた。
「眠るまで・・・あ、違った。朝まで一緒にいるから」
「でも君が疲れてしまう」
「だいじょうぶ」
  ジャックは目を閉じた。
  小夜啼鳥のあまい声がした。
  ジャックは眠った。悪い夢は見なかった。夢は。
                      ◆
  ジャックは目を開けた。
  外は暗いままだ。もう一度寝ようと思ったところでジャックは気付いた。小夜啼鳥の声が聞こえない。外を見たジャックの目には闇が見えた。
「朝?」
  横に寝ていたブロッサムが目を開ける。
「まさか」
  ジャックは寝台の下にしまってあった剣を持つと外に飛び出した。
  そこには闇に覆われた世界があった。
  昨日と変わらぬ白い砂浜。風に舞う椰子。そして昨日までは元気だった島の人々は生きているものの姿をしながら、既に死者となっている。
「待っていたよジャック・アーヴィング」
  楽しげな声の先には魔術師が立っていた。
「魔術師」
  首にはジャックがつけた傷が生々しく残っていた。
「せっかく大陸から昼を奪ったのに、英雄の君が出てこないと思ったらこんなところにいたとは。いやはや失敗だった。最も今回は大陸だけで終わらす気は無いから、君にはいずれ会えると思っていたから慌てはしなかったがね」
  ジャックは剣を構えた。
「懐かしいよその剣。冷ややかな刃の感触をまだ覚えている」
  魔術師は楽しげに首の切り口に触れた。ジャックは切りかかった。
  魔術師は交わす。
「腕は落ちたようだね」
「うるさい」
  それはジャック自身が一番よく分かっていた。この南の島に来てからの生活で、武器を使うための肉体はもう崩れていた。
「つまらないな」
  剣は魔術師の前で止まっていた。剣は魔術師の力に耐え切れなくなり砕け散った。その余波を受け、ジャックは地面に叩きつけられた。刃の欠片に切り刻まれた全身が朱に染まる。
「さよならだ」
  魔術師の前に死の紋章が現れる。体から命を維持していた何かが流れ失われていく。意識が遠くなる。
  心臓の鼓動が遅くなり眠ろうとする。
「ジャック!」
  ブロッサムの声だった。目が覚めた。
「きちゃだめだ」
  魔術師はブロッサムに気付き笑みを浮かべた。
  ジャックは自分が失敗した事を悟った。今声を上げなければ、必死に彼女を止めようとしなければ、いや、自分がここに来さえしなければ。
  ジャックの身体を放り出し、魔術師はブロッサムに近づいていく。
「逃げろブロッサム」


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