岩田の刀自〜下総の仙人〜

市川5


   少年は呆然と立ち尽くしていた。目の前に広がるのは巨大な奇石と、その回りに転がる骸の原だった。帝の寵愛を得、国を乱した妖である九尾の狐。陰陽師阿部泰成に正体を見破られ、都を追われ落ちのびた先が、ここ那須の地であったのはどうだったのか。都人はいう。みちのく、既に人の領域でない場所に追い払えた。そう思っているのだから。だが、この地にも人は生きている。三浦介、上総介、派遣された二人の武士は、討ち取った事で武名を得たろう。だが、その手下として使われた自分はどうだ? 家族をみな失いこうしてただ一人になった。ここで武勇の手柄を立てれば、暮らしぶりも変わると夢想していたのが嘘のようだ。それは九尾の狐も同じことだ。栄華を極めながらここで死骸に囲まれ、石と化している。栄耀栄華とは、世界とはこんなものなのか。
  こんな体験をした少年は、俗世に望みを捨てました。山野に篭り、修行を始めたのです。そんな彼に一人の仙人が薬を飲ませました。薬を飲んだ彼は身も心も軽くなり、仙人と共に空を飛びました。それが終わった時、仙人は少年に語ります。「心を落ち着かせ、呼吸を静かにしておれば、これより九十年の後、両目が碧くなり、一千年で骨も代わり、不老を得るだろう」
  それから数百年、里見城に姿を見せた刀自は、若々しい容姿ながら、体を包む程長くなった髪やヒゲは金色に変わり、目は碧く変わり、仙人となった姿を見せたのです。
  ちなみに仙術では、外の薬に頼って長生きするのを外丹。自分の気を鍛え上げることで長命を得るのは内丹といいます。こうしてみると、岩田の刀自は外丹でまず力の扱いを知り、それから長い間修行をする事で、内丹を得て仙人になったのでしょう。

とそれらしく書いておきながらなんですが、これは江戸時代の伽婢子第六巻にある長生の道士という作り話です。恐らく中国の小説を翻案したものと思うのですが、当時、里見家というのが、こういうものに語られるような家であっが、なんとなく分かりますね。こういう土台があって、里見八犬伝とか、連想が働いたのかとも思います。