狐のイメージ

船橋4

  皆さん初詣はすまされたでしょうか。先月号の記事で神楽についてちょっと紹介しましたが見に行かれた方はいらっしゃいますか? いけなかった方も大丈夫です。節分にも各地の神社で神楽が行われます。

  さて、船橋大神宮で行われる十二座神楽には『天狐舞』があります。
  天狐舞は主に五穀豊穣を祈るものです。耕す動作を真似たものが中心で見ていると確かにそう思わせます。狐はお稲荷さま、稲の精霊の御使いですからもっともな事です。さらに狐に天をつけることで、神様の使いであるのをしめしているのです。その姿は、面を始め、衣装も白を貴重とした清らかさを感じるものです。 

 

 十二座神楽には含まれませんが、狐が登場する神楽はいくつかあります。狐が玉で遊んでいると神様がそれを取り上げようとする『狐退治』。一族を猟師に捕らえられた狐が、説得しようと人に化けて説教をするものの、最後はエサにつられて正体を現す『狐釣り』などです。

  そんな狐釣りに似た妖怪の話か伝わっています。甲斐の夢山の麓に弥作という猟師がいました。弥作の為に仲間を失った狐は、彼の伯父である宝塔寺の白蔵主という住職の姿になって、弥作の罠を買い取りました。金を使い果たした弥作は金を無心しに宝塔寺に出かけます。古狐は先回りをして本物の住職を殺し、再び白蔵主を装って弥作を追い返しました。その後五十年もの間住職を演じていましたがある時気付かれて犬にかみ殺されました。

  ところが白蔵主と同じ名で呼ばれる狐の話が大阪にもあり、また違う展開を見せます。 

 白蔵主の話ですが、大阪にもあります。こちらは狐であるのがばれたのですが、人間の白蔵主おじさんも殺生について同様

に説いた為、甥は猟師を辞めたといいます。

  同じ流れながら結果が違った2つの話。これは狐に対する人間のゆらぎといえます。

そのせいか妖狐といわれる狐の妖怪には様々な名が与えられています。(この分け方は自分なりに思うもので公式なものでは

ありません。)

 

野狐。これは自然にあって、人を化かすもの。泥団子をご馳走され、肥溜め風呂に入れるいたずらもの。

 

白狐 野狐の一族とも思われますが、強い霊力を持っており、時には縁を結び、子をなします。阿部清明の母葛の葉の話や、

女化け神社の狐がこれに類していますね。

 

天狐(神狐) 白狐とも重なり、神楽にも登場する神の使いの狐。豊かさの象徴といえる。

 

仙狐 中国の話でよくでてくる狐です。概ね文化的で、いい身形をして人間の家を訪ね、素直に一部屋を貸すなら家主に助力

してくれます。貸さないと祟るのが問題です。

 

ちなみに中国の狐の話を読みますと、狐が人と縁を結ぶ理由が明らかになっています。大抵の妖狐は狐の神や仙人である仙狐

や天狐になろうとしています。その為には膨大の量の気がいります。しかし狐は陰陽でいう陰の獣ですので、単独では陽の気

が集まらないのです。そこで人間から生気を奪うのです。

  魅了する能力や、気を奪う力。それは妖狐には必須な能力といえます。しかしそれが過ぎると国をも傾けます。

そう、妖狐の中でも有名な金毛九尾の狐です。

 

  ざっと玉藻前こと九尾の狐と殺生石の説明をしてみましょう。

 玉藻前という女が、その才知と美貌から、鳥羽院のお気に入りとなった。ある夜、風が吹き、殿の灯りという灯りは一切

途絶えた。その時、玉藻前の体は不思議な輝きを放ち、光は天地に満ちたという。しかし鳥羽院は病に倒れた。王道が乱れる

中、陰陽師安倍泰成が玉藻前の正体を探り出す。玉藻の正体が狐であった。玉藻は天竺では班足太子に多くの首をとらせ、中

国では周と殷で美姫に姿を変え王国を傾けた大妖狐であった。帝の命を受けた上総介、三浦之介は、逃げた妖狐を追い、那須

野ヶ原で射殺した。しかしその念は途絶えず殺生石となり、毒気を出し人々の生命を奪った。後々、玄翁和尚によって割られ

人が死ぬのは納まったのだが、それは小さな災厄を巻くことになった。殺生石の欠片を踏むと悪い事が起きるといい、また殺

生石を砕いた時、オオサキやクダギツンネといった妖怪が飛び出していったともいう。

 ちなみに九尾といっていますが、二尾と九尾の伝承があります。二尾は猫又のように年経た生き物が妖力をもった証でしょ

う。九尾は中国の山海経という本にも人を食べる九尾の狐の記述があります。

 

 これらの話が初めて記録されるのは15世紀というから室町時代です。その頃に都で様々な狐の物語や、中国のお話がまと

められたのでしょう。伝説がまとめられ脚色され、現在のような壮大な物語となったのです。そして物語が伝播すると、あわ

せる形で過去も改変されていったのではないでしょうか。