松戸の獅子舞(獅子神楽)

東葛4

   松戸の風早神社、胡録神社などで、9月〜10月にかけて三匹獅子舞が行われます。獅子舞というとお正月に活躍するイメージですが、みなさんはいかがでしょうか。
  松戸の獅子舞は、獅子は大獅子、小獅子、雌獅子となっています。被るのは神に供えたしし(鹿)の頭を模したとされているものです。江戸時代、伊勢神楽系の獅子舞が関東に広がりました。これは伊勢地方にあった御頭神事という祓い獅子があり、これが人集めの手段の一つとして、お札を配る人たちに取り入れられました。これが江戸開府の際に関東に渡ってきたのです。松戸の獅子舞も江戸時代に始まったといいますから、その流れに乗ったものかもしれません。

  獅子舞の源流は二つのものが考えられます。「伎楽系」、こちらは中国から伝わったとされるもので、二人組で行われるものはこちらが源流といわれています。もともと獅子が実在しない中国を経由したので、竜や麒麟のような架空の存在めいています。「風流系」、鹿や、猪、熊、といった田畑を荒らす生き物を、倒して食して後、祭るものがありました恐らく現在、江刺市で行われている鹿踊りのようなものだったのでしょう。

  簡単に獅子舞といっていますが、いくつか種類があります。舞う獅子の数は1〜3体、中で操る人の数は1〜2人、外見はよく知られている獅子以外に鹿や、猪、熊、さらには竜や麒麟の姿の場所もあります。行われる理由も、五穀豊穣、雨乞い、悪魔祓いと様々です。細部にいろいろな変化があり、まったく同じものはないのです。

  現在、上映されている妖怪大戦争の中でも獅子舞が鍵の一つとなっています。そこでは麒麟が獅子の代わりに舞う「麒麟獅子舞」を見ることができます。これは、慶安3年(1650)に鳥取の初代藩主・池田光仲が、徳川家康を祭った日光東照宮の御神霊を鳥取に勧請し、鳥取東照宮を建立したさいに、権現祭の神幸行列で行われたのがはじま

りとされています。この麒麟獅子は頭に一本の角をつけており、胴体は鮮やかな赤に、黒の幅広い背筋が一本、尾の付け根まで通っています。また、先導するあやし役の猩猩も赤一色の非常に鮮やかなものとなっております。

  映画の中で、猩猩に選ばれ麒麟送子といわれるヒーロとなり、主人公は冒険の旅に赴くのです。

 

 他にも獅子舞には様々な生き物がシンボルとして登場します。

 まず、名の由来である獅子とはどんな生き物でしょう?。獅子は、力強く、至上の動物であり、眼の眩むような光をまとう太陽の象徴です。こうしたことから、インドで祭儀の際に、獅子を模した踊りが行われました。それが中国に伝わります。もともと獅子がいない国ですから、いろいろな話が加わります。日本に来た頃にはすっかり神獣のようになっていました。その神獣振りの一つとして、文殊菩薩が乗り物にしています。秋の祭りは収穫を祝ったものが多いですから太陽の象徴が絡むのも当然かもしれません。

  竜はもともと吉兆とされるいきものです。中国のもっとも古い国といわれる殷(商)でも竜が尊ばれました。海や湖沼、水のある所には天帝に命じられて竜王がいるという中国の伝承と、日本固有の信仰であるヌシの要素が混じって、多くの伝説を残しています。その姿は、頭はラクダに、角は鹿に、目は兎に、首は蛇に、腹は蜃(竜の一種鹿のように分かれた角があり、長い首から背筋に沿って鬣がはえており、全身は鱗に覆われ、四本の手足がある)、鱗は魚、爪は鷹、掌は虎に、耳は馬に似ているといわれました。また古いイメージでは、馬の顔に蛇の身体や、人頭蛇身といった事もありました。(竜に関してはこちらにもまとめてあります

 

  秋は実りの季節。獅子舞や、神楽が各地の神社で奉納されます。みなさんも足を運んでみてください。新しい発見があるかもしれないです。