八千代の権現さま

八千代6

  太田道潅は権現山に陣を張り、米本城を攻めていた。足軽を用いた突撃戦法を得手とし、東の地にその人ありといわれた道灌ではあったが、この戦は苦戦であった。彼は神仏を敬う男でもあり、この戦にも守り本尊を持参していた。道灌は長引く戦いに、十一面観音菩薩に勝利を祈願した。祈願には供物が必要である。そして戦いは道灌の勝利に終わった。それから時は流れ、百年あまりが過ぎた。権現山の中で獣の鳴声が響いた。周りの村人もその日だけのことそう思った。だが、鳴声は十七日にも及んだ。さすがに常とは異なると村人たちが来た前に現れたのは一匹の白狐であった。
「我は飯綱大権現なり。昔、太田道潅の埋めた十一面観音の尊像が権現山の北東五尺の地下にあり、この世に再誕さ

せれば、あまねく一切衆生を済度してくれる」。そして白狐の姿は消え、村人たちが掘り出したのが、道灌が祈願の際に供物として埋めていったものであった。
  それが後に八千代の権現さまこと、飯綱神社となりました。権現さまというのは、もともと仏様が分かりやすい姿をとって、現れることをいいます。飯綱神社のお稲荷さまとしての姿は、仏様が人々に分かりやすい姿をとっているという事です。社殿裏には観音堂があり、そこに観音様は祭られていました。ところが仏さまは、明治時代の廃仏毀釈によって姿を消しました。今、祀られている神様は、お稲荷さま、すなわち宇賀之御魂命です。宇賀之御魂命は食べ物をつかさどるといわれる神様ですが、お稲荷さまとしての姿は非常に混沌としています。 お稲荷さんを皆さんはご存知ですよね。農家や商売をされていると家にあることもありますし、ないとしても近所を巡れば少なくないと思います。では、お稲荷さんはどんな神様なのでしょう。
  お稲荷さんは神様としては、豊受大神や、宇賀之御魂命、御饌津神といった名前を持ちますが、稲にかかわる神という点では共通しています。つまりは稲の精霊の神様ですね。そんな神様が稲荷と呼ばれるのは「稲成り」あるいは「稲生り」で、その神の腹から稲が生じたという伝説からです。どうして狐かというと、古来狐をケツと呼びました。名前の一つであるミケツノカミ(御饌津神)を三狐神と読みました。そこから狐は、御稲荷様の御使いと呼ばれたのです。こちらは主に神道系のお稲荷さんです。ただし、狐はもともと山の神の使いとされていました。
  八千代の権現さまは神様を残しましたが、逆に仏さまを残したお稲荷さんもあります。そちらも狐がかかわってきます。狐(インドでは山犬)に乗った姿をした仏さまであるダキニ天を本尊とするものです。その代表的なものが長野にある飯綱大権現です。
  さて、飯綱という妖怪がいます。人に憑く類のもので、狐憑きに似ています。もともと管狐といわれる竹の管に入ってしまうくらい小さな狐を操る呪術が存在しており、用いる行者を飯綱使いと呼びました。何かあってはぐれてしまったものが飯綱と呼ばれるのです。その名前の由来は先程の長野の飯綱大権現です。
  このように八千代の権現さまには、狐を通して集まったいろいろな要素が、合わさり、混じりながら、今でも少しづつ残っているのです。