片葉の弁財天

八千代1


   八千代市の村上には阿蘇沼片葉葭厳島神社があります。


 片葉という言葉がある時、大抵そこには伝説が残っています。例えば小野小町の袖が触れた時に葉が落ち、そのままはえなくなった。羽柴秀吉が鎌の切れ味を試しているうちに片葉になった。河童が人に助けてもらった恩返しに、安全な水辺には片葉の葦をはやしたなど様々です。凄惨なものもあり、戦の最中、川の浅いところを知ったものが恩賞欲しさに仲間を殺した後、その祟りで葦が片葉しか生えなくなったというものもあります。


  では、厳島神社にはどんな話が伝わっているでしょうか。平安時代、平入道真円という男がおりました。当時力をつけ始めた平の一族で、ある日の事狩猟をしていました。阿蘇沼で狩猟をしていた真円は一羽の鴛を打ち落とします。家に戻った真円が食べるために軒先に鴛を吊るしているうちに、日は暮れました。夜、真円が眠っていると枕元に美しい女が現れました。夢か現かと思っていると、「あなたは私の夫を殺しました」。身に覚えがない真円は「そんなことはない」と応じます。朝になり、昨夜の事が夢かと思っている真円は、軒先で昨日射止めた鴛と、対であろう鴦が自分の嘴で胸を突き破って死んでいました。鴛鴦の恋慕に、発心した真円は出家し、池の辺に鴨鴛寺正覚院を建て菩提を弔いました。ところが阿蘇沼にはそれ以来片葉の葦が生えるようになりました。哀れんだ村人が建立したのが片葉の弁財天こと阿蘇沼片葉葭厳島神社なのです。

  同じタイプの話は各地にあって、狂言の求塚もそれを元ネタにしているようです。真円の役柄も、千葉胤政、三原弾正時勝といった武士、鷹匠、猟師など様々に変わります。殺生をするものの多くがなるのは根源が仏教関係の説話だからなのでしょう。


 さて、もう一つ。葦を何と読まれました? 『あし』でしょうか『よし』でしょうか。その読み方によって、同じ片葉でも、その土地の受け取り方の違いを感じることができると思います。もしどこかで片葉の葦を見つけたら、確認してみてください。

 今回調べていて思ったのですが、阿蘇沼である。阿蘇という地名はアイヌ語で爆裂火口の底、湖水あとを示すといわれています。アイヌは徐々に北に北に押しやられたという説が大半ですが、寒冷化に伴い降りてきたという説もありますので、言葉のつながりで見てみるとおもしろいかもしれません。

 自分的におもしろかったのですが、現在阿蘇沼というのは小さな枯れ池です。しかし、この話がされていた頃は、
まだ干拓がそう進んでおらず霞ヶ浦、印旛沼、手賀沼といった巨大な沼沢でありました。その一帯の古名を阿蘇沼と
いったらしいのです。そう考えると、伝説を調べるのはフィールドワークも無論大切なのですが、机上の事もおろそかにしてはいけないと思いました。