鬼籠もれりと言ふはまことか?

番外3


   こちらの写真は姥ヶ池福寿稲荷大明神と、姥宮沙竭羅竜王です。ここにはどのような伝説があるのでしょうか?

 昔、浅茅ヶ原の一つ家に老婆と娘が住んでいました。娘が旅人を誘い、宿を貸します。そして石枕に寝かせ、寝ている間に頭を砕き、殺してしまったといいます。
  そして殺した人が九百九十九人を数えた時、若者が一つ家を訪れます。若者に心を奪われた娘は、身代わりとなり老婆に殺されます。老婆はその因果の恐ろしさに悔やみ、近くの池に身を投げました。しかし、罪の重さ故か死ぬことも許されず、老婆の体は竜に転じたといいます。そして沼は姥ヶ池と呼ばれるようになりました。


  これを聞いて思い出した事があります。
『陸奥の安達が原の黒塚に鬼籠もれりと言ふはまことか』
  平兼盛の歌にある黒塚です。
  安達が原の鬼の伝説はこの句が元になって成立したといわれてます。ただし鬼がいたかといえばそうではなく、同じ三十六歌仙である源重之は陸奥におり、娘がたくさんいたので、それを揶揄したとも言われています。これが元になって謡曲『黒塚』が作られたとされています。
  ただ、現在、安達が原の伝説が残る真弓山観世寺神亀3年となっております。そう考えると話は違ってきます。平兼盛はそれを踏まえた上で読んだ事になるのです。


 開基の話が先か、歌が先か、黒塚では分からないのです。さて、この浅草の姥ヶ池はどちらなのでしょうか。
  資料をあたったところ、白河院の記したものの中に石枕の記述があるということです。白河院の記述は平安時代の終わりとなります。その時点で黒塚の話は流布していたでしょう。
 それが鬼ではなく、竜に転じたという事になったのは、 浅草寺に関連しているようです。浅草寺の名は金龍山であり、その本尊が海から引き上げられた際に竜が降臨したという話が残っております。こんなことから仏法守護に馴染みのある竜となったのではないでしょうか。


 



  分からないのは由来だけでなく、2つとも同じ場所にあるのに伝説が割れています。何か随分印象違うんですけどね。どうでしょうか?