はじまりの物語

封希&
疾斗 ×   ノノ 
ルーテ編

 

 雨が降ってきていた。
  こんな寒い日はぬくもりが恋しい。そう思いながらノノは翼を丸めた。少しでも自分の体温を逃がさないように少しでも暖かく。
  この世界に迷い込んできてしまって数日。この世界では、お金というものがなければまともに生活できないのがわかった。とはいうもののこの世界の住人は自分の何倍も大きい。単純に体を使って働くこともできない。
「リアさま」
  呟いた名前は気付かないくらい遠い。元いた世界や、仕えていた主人を考えているとさびしくなってくる。それは体だけでなくいろいろなものを削っていく。気力とか、生気とか見えないけれど生きるためのものだ。
「だめだこれじゃいけない。今日は帰らないと」
  この世界にきてから家にしているのは古い工場だった。その軒先に置かれたダンボール。そこがノノの居場所だった。
「あれ」
  ノノが家にしていたダンボールには先客がいた。誰かに捨てられたのか三匹の子猫がダンボールの中にうずくまっている。
「あ〜あ」
  ノノはため息をつきまがら降りた。
  でも、もう体は冷えていてこれ以上出回る気もしない。
「あんたたち。食べないでよ」
  子猫の横にノノは体を割り込ませた。自分ひとりではなかったぬくもりが体に伝わってくる。それだけでもノノは幸せだった。

「わ、猫さんじゃないよ」
  そんな声が聞こえた。目を開けると自分を見下ろしている大きな茶色い瞳があった。
「疾斗、妖精さんだよ」
「そんなに珍しいもんでもないだろう。猫でも化けたんじゃないのか」
  暖かい空気。見回してみれば、どこかの部屋の中のようだ。
  それにしても自分をずっと見続けているその目の真摯なことはなんなんだろう。
「猫じゃない、何よあんたたち」
「私はね封希。それでね疾斗」
  きれいな女の子だった。茶色の髪と茶色の瞳はどこか生命の光が弱いような気がした。
「はい」
  差し出されたのはクッキーだった。思わず受け取るとノノはそれを口に入れた。
「お腹すいているといらいらすると思うのだから、だから食べて」
「そこまでいうなら食べてあげる」
  そういいながらクッキーを食べた。
「どうかな。クコの実がはいっているんだけど」
「おいしいおいしい。ありがとう」
  上機嫌になっていうと、同じように上機嫌な顔で女の子は笑っている。体つきはとても女の子っぽいが、顔の表情はどこか幼いものだ。
「ねえ、あんた誰?」
「私はね封希。あなたは?」
「あたしはノノ。ちょっとした理由でこの世界にきてしまったんだけど」
「迷子だろ。レジスとかと一緒だ」
  その言葉にどこか不快さを感じた。
「見てもいないのに一緒にしないでよ」
「なんだ」
  顔を出したのは魔王だった。いや、それはイメージの問題だ。そこにいるのは黒髪黒目の青年だった。美男といっていい顔は、冷ややかというか、無関心が見て取れる。そんな人間を見て魔王なんて思ったのはどうしてだろう。
「もって帰れよ」
「分かってる。でもねタオルを貸して欲しいな。きっとこのままだとみんな風邪ひいちゃう。ノノちゃんも寒いでしょ」
「クローゼットに入っているから。勝手に出してくれ」
  最初に感じた生命の弱さが気のせいに思えてくる。女の子は輝いていた。魔王、疾斗と呼ばれたその青年と話しているとそれだけで楽しいようだった。
  ノノはとりあえずクッキーを食べることに専念することにした。クコといっていた赤い実は結構独特の癖があっておいしい。
「あ・・・」
  弱い声がした。
「これですね。話は聞いてたですから用意しておきました」
  自分を含めてダンボールごと封希に持ち上げられるのが分かった。
「どうしたの」
  封希は黙ってそのまま部屋を出て行った。

「おい、封希」
  疾斗は声を上げた。
  いつもにこにこしている封希があんな顔をしていたのは見たことがなかった。いったいどうして何があったのか。
  追いかけようとして小さく息を吐いた。きっと今までの楽しかった日々が偽りのようなものだ。ああして封希が自分のそばにいたのが特別な事だったのだ。
「あの追わなくていいですか?」
「誰だ」
  声がしたクローゼットの中には背中から羽根をはやした女がタオルをもってたっていた。
「あなたのおそばに天使光臨」
  女は年は封希よりも若く中学生くらいだろうか。金髪碧眼でおまけに翼がついてる。本人がいうように天使なのかもしれないが、疾斗には関係なかった。
「何だ?」
「おお。天使です。神様のご命令で、やってきました」
  今すぐこの世から消してしまいたい。だが、今はそんなことをしている場合ではなかった。これ(自称天使)を見て、封希が何か勘違いしたなら追わなくてはならない。
  疾斗は駆け出した。雨の中で、既に封希の姿は見えない。それでも疾斗は走った。その走っている疾斗の横を天使が浮いている。もっともそれらしい格好ならともかく、白いブルゾンにオレンジ色のスカートは無印でも売ってそうなものだから、飛んでいることを除けばちょっとしたコスプレにしか見えない。
「何してるですか? 雨の中で風邪ひくですよ」
「うるさい」
「あのですね。さっきの人を探せばいいですか?」
「できるのか」
「任せてください。人探しは得意ですよ」
  天使は翼を一本抜くと吹いた。それは光となって雨の中を抜けていく。
「こっちですよ」
 
「ちょっと落ち着いて」
  ノノは飛び上がると封希の前に浮かんだ。
「ごめん濡れちゃってる」
「それより自分だよ傘もささないで、あああっちに雨宿りできそう」
  最初に何となく覚えた印象が今でははっきりと感じれる。封希は弱弱しかった。雨に濡れたといってもそう長い間だけではないのにどうしてなんだろう。
  閉まった店の軒先で二人はたっていた。
「寒くない」
「あたしたちは野生だからだいじょうぶ」
  ノノの言葉に少し封希は笑った。
「ごめんね。せっかくあったかいところだったのに」
「封希こそだいじょうぶ? 顔色悪いよ」
「うんだいじょうぶだよ。ちょっとだけびっくりしちゃって」
「何があったの?」
「あのね、ノノちゃんにタオルをあげようと思って、クローゼットの中に女の子が隠れてて。とても、かわいい子だったの」
  ノノは鼻で笑った。
「言っちゃ悪いけど。この世界に来て封希が一番かわいいよ」
「え。ありがとう」
  笑顔も一瞬、封希は顔を下に向けた。
「封希なら美人だし、直ぐに次の相手が見つかるよ」
  雨の中、細かな光が飛んでくる。
「なに」
  ノノの声も聞こえてないのか、封希はただ立ったままだ。それは封希の周りをゆっくりと飛び回りやがて消えた。
「封希」
「疾斗」
  ただそれだけが嬉しいというように封希は疾斗に向かい微笑んでいる。
「バカ。どうした」
「え。うん」
  封希の体が小さく逃れるように動いた。
「無理しなくていい」
「無理じゃない」
「だってその人」
「こいつは天使だ」
  天使が通り過ぎていった。
「そう天使なんですよ。神さまに言われて、疾斗さんのところに仕えにきました。追い出されるとまた無職生活なんです。見捨てないでください」

「ルーテさん、おはようございます」
「ああ、おはようです」
  クローゼットの中からルーテは出てきた。
「おはようルーテ」
  封希の頭の上にはノノが乗っている。
「今日は早いですね」
「疾斗で出かけるの」
「おおいいですねえ」
「ルーテさんもいく?」
「いいんですか。わあ、いくですよ」
  そして疾斗はかすかに眉をしかめたが、皺はとても深かった。



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