墨色うねりさん絵ありがとう

白澤

ちなみに
口元から
白うねり/
煙羅煙羅/
すねこすり/
ぬるぬる坊主/
雲外鏡/
古琴主/
磯女/
骨唐傘/
赤舌(っぽいの)/
金魚の幽霊(自己流)/経凛々
/雷獣(自己流)
/蝦蟇の怪

後細かいのちまちま

SS 白澤出現
  中国という国が歴史ではなく、神話であった時代、黄帝という帝王がいた。
  彼は天に選ばれた帝王であり、あまねく世界を支配し、やがて竜にまたがり昇天したという。
  その黄帝が東方に視察に出たのは最大の敵対者であった蚩尤を倒した年の事だった。
  いくつもの山河を越え、黄帝主従は桓山に達していた。山野の広がる山間に来たときの事だった。
  従者の一人が声を上げた。黄帝が従者の目の先を追うとそこには童が立っていた。夷の子であるのか童は衣類らしいものを身に付けていない。黄帝が警告の声をかける前に、仁愛に優れた従者は童に近づいていく。
  童は従者に手を伸ばした。助けを求めると思われたのか従者は手をとった。思いがけぬ強い力で引かれ従者の顔が強張った。何か笑いているとも泣いているともつかない顔をすると従者は倒れた。
「妖だ」
  山間に剣戟の音が響き渡った。
                       ◇

 黄帝は東に広がる渺海を見ながら苦悩を竜顔に湛えていた。先の山で見た妖の事である。
  天に選ばれ、守られる天子である黄帝を、いかなる妖とて害する事はできない。しかし従者のよう民草はどうか。 
  山の中に子供がいて助けを求めて来た時救うのは人というものであり、黄帝自身も人々にそれを見せてきたつもりだ。しかし、それを知っているかのような妖の危害。
「朕は無力だ」
「帝王よ」
  声が聞こえた。
  声の方に目をやるとそこには光があった。黄帝の目が慣れるに従い光は一匹の神獣の姿をとっていた。
「吾は白澤。帝王の悲哀は天の悲哀。天の下にあるものとして、助力しよう」
「桓山での事。従者が童の姿をした妖に命を奪われました」
「それは渓嚢(けいのう)。人の手を引き命を奪う。もし生きたければ手を引き返せばよい」
  黄帝は平伏した。
「民草は妖の害に悩んでおります。それを除く術を知っておられるのならば教えていただきたい」
  白澤は頷いた。 。

白澤図〜由来〜
  この時の白澤の教えを図と共に記したのが『白澤図』なのです。内容は太古から生き続けるものや、魂が変化したものなどの一万一千五百二十種に妖怪が描かれております。
  『白澤図』は長い間伝わっており、三国時代蜀の軍師孔明の甥の諸葛恪が教えに従い妖を下した話が残っています。
  鳥山石燕の残した『百鬼夜行図』には日本のものの多い中、最後に白澤の図が描かれています。鳥山石燕は和製白澤図を残したかったのかもしれません。
  さて、そんな白澤の姿ですが、鳥山石燕のものは一対の角をいただき、下顎に山羊髭を蓄え、額にも瞳を持つ三ツ目、更には左右の胴体に三つずつ目を描き入れており、併せて九つ目として描かれています。四つ足で角が三対生え、顔に三つ、胴体に六つと、合計九つの目を持ちます。 和漢三才図会では獅子っぽいです。獅子は獅子吼という言葉もあり、また獅子舞も邪を除くためのものですから、そこに理由があるかもしれません。
意匠〜余談〜
 皆さんご存知徳川家康を祭ってある日光東照宮の拝殿内には、狩野探幽の作とされる二枚の霊獣画があります。その絵は拝殿の正面に向かって左右の杉戸に描かれており、右は麒麟、左は白澤となっています。また,漢方薬の守護神とされており、安政年間のコレラ大発生の時には辟邪の護符として尊ばれました。とはいうものの後年その性質は中国の民間では薄れてきたらしく西遊記の中にただの退治されるもの扱いされています。ただし、西遊記の中に出てくる妖怪の数々はかつては天界を騒がせた孫悟空に対抗できる程の霊獣が化けたものなので一概にはいえませんが。とはいうものの、中国でもその効力に変化は無かったようで、清朝では衣服の意匠となっており、また現在でも警備会社の名前になっています。日本にも東照宮だけでなく、各地の博物館にあるので、見る機会があったら思い出してみてください。