ストネイジさんの絵に無理やり説明をつけるシリーズ
ミトラ
とか
ミスラ
SS 密儀
 ただ、そこは暗かった。光一つなくそこは場所ではなく、闇そのものに埋もれているような気がしてくる。ヒトは自分自身を知っているようでその内側を知らない。この闇の中にいると、闇を鏡として自分の事を映しているように思えた。
 そこにあるのは時には善き事であり光である。
 そこにあるのは時には悪しき事であり闇である。
 周りにあるのは闇。少しづつ闇が増えていく。
 闇だ。
 限界だ。侵食するものに限界を感じた時に不意に光が覆った。
 闇の中で見るその光は圧倒的だった。それは圧倒的な強さをもって体の中にしみこんで来る。その光の中に輝く刃があった。
 光の確かさ、強さを知った今、闇を恐れるものはなかった。
 目の前で牛にナイフが振り下ろされた。その飛び散る血を浴びながらそこに感じるのは強い太陽の神の姿であった。
地母を食い破るもの〜由来〜
ミトラはもしキリスト教が力をつけるのが遅かったら、ローマの国教になっていたかもしれないほど信仰された神です。そのため記録の類があまり残されておらず、兄弟愛、聖餐、洗礼、死後の世界、最後の審判、そして復活などをはキリスト教に吸収されてしまいその名はあまり知られていません。では、残された伝承を辿っていきましょう。
ミトラは12月25日に岩から生まれたといます。そうキリストの誕生日がこの日であるのは、換骨したものかもしれません。そして岩を破って生まれたというのは、地母神以上の力を持って生まれた事を示しています。ではミトラとは何なのでしょう。ミトラは光輝の神といわれています。それは無論太陽です。
ミトラの幼い時の姿は両手に短剣と松明をもつ図像であらわされるか、あるいは弓と矢をもった武神の姿をとります。弓と太陽、この2つの組み合わせからするとアポロンが思い出されます。ギリシア神話では代々力ある子に親が殺される傾向があります。アポロンもいずれ簒奪していたと考えると、似ても当然のような気がします。ちなみに弓は闇を引き裂き光明をもたらす象徴とされます。

アフラ・マズダの盟友〜余談〜
 インドとイランの神話は同じ根を持っているといわれています。インドでは悪神である阿修羅が、イランでは善神アフラになっています。さて、ミトラもまたどちらの神話にも名を残しています。イランではミトラはミスラと呼ばれ、光明神であるアフラ・マズダと共に戦います。またインドにおいてミトラと呼ばれ、法を司るヴァルナ神の脇を固めております。  
 この二つの神話に置いて見られるのは戦士の神としての姿、そして契約の神ということです。死者の生前での善行のほどを量り、天秤をもって判事の席につき、魂を楽土に導くか地獄に落とすかを決定するとされています。契約とは神との契約であり、世界の法そのものです。そのせいかミトラは最終的にこの世を支配する法の神となったのです。
 その原形に様々なものが重なり現在のミトラとなりました。ミトラは男性原理と女性原理を持つ神であり、その2つを持つということは、大抵の教義を吸収できることを表します。ギリシア神話や、アジア的なもの、さまざまなものを吸収したミトラは最高神となりました。最終的にミトラの姿は光球の中に住み、男性神としては力強く光輝に溢れた王であり、女神としては大地に棲む自然となりました。
 しかし、その自由度の高さが後に災いしました。宗教からぬける事を抑制していなかったミトラ教は晩年、キリスト教への改宗者を増やしてしまい、その信仰は消えていったのです。

 ところが消えていった宗教の影響を日本で見ることができます。それは仏の中の一体です。その名を摩利支天といいます。
 摩利支天は大日如来の化身とされ、三面六臂や三面八臂で半月輪を踏み、イノシシの上にたっています。 扇や弓、剣、槍で武装した場合は男性で憤怒の形相をとります女性の姿の場合は唐風の服装をした天女の姿の場合もあります。太陽に先立って出現する陽炎を神格化したと一般的には言われています。仏教では日月の徳を持ち、また 陽炎は実体がないので捕えられないというところから、隠身を果たし、害を避けるといいました。そのため、中世から日本では武士の間に摩利支天信仰が盛んになりました。有名なところでは前田利家、楠木正成が信仰をしました。 このような説明を聞くと、男性と女性、両方の存在ともち、武神であり、また太陽(大日如来もまたアスラ族の王といいます)に関するということから、連想が働くと思います。